主夫リタイアの雑記ブログ

30代、実家暮らしの子持ちリーマン。早期リタイアが目標。

セミリタイアと暇について

セミリタイア生活においてよく議論される「暇」問題。いきなりサラリーマンを辞めて膨大な時間ができたら暇になる、退屈になるのでは?と。

 

セミリタイア生活を目指す私にとってこの問題は考えておいた方がいいと思い、図書館で偶然「暇と退屈の倫理学」たる本を見つけた為、読んでみた感想を述べていこうと思う。

 

「退屈」ときいて連想したのは漫画デスノートで死神リュークと主人公夜神月のやりとりである。

リューク「死神界が退屈だったからデスノートを人間界に落とした。こんな短期間でこんなに多くの名前を書いたのはお前が初めてだ、よく書いたね」

夜神月「僕も・・・退屈だったから」(たしかこんなやりとりだったような)

 

夜神月は「世の中を正す」「新世界の神になる」といった理由でデスノートを使ったが、根底にあるのは暇つぶしであった。プロサッカー選手も若手社長もキラも大きな夢、やりがい、生き甲斐を語るけどその大元の活動源は暇潰しである。

 

面白いのが、この暇つぶしをしていてもなお、退屈を感じる時がある。夜神月対Lではキラが勝利した。その後の世界は犯罪者が減り、キラを崇拝する宗教団体も生まれ、神と崇めらた。

当初の目的である犯罪者の減少、新世界の神になることは達成したにもかかかわらず、Lが抜けたキラ対策本部の無能さ、張り合いの無さに退屈を感じていた。ニアとメロが現れてからその退屈から開放され、生き生きとなっていた。

 

このようにデスノートに名前を書くという暇つぶしの行為も、退屈に感じてくることがある。

他に例えるなら暇つぶしの為、飲み会に出席したが、友人との会話がつまらなくて退屈している状況など。

 

人間と退屈はきっても切れない縁のようだ。退屈を解消しようとしてもその解消方法はたまた別方向から退屈が湧いて出てきて、またその退屈を解消しなくてはならない、まさに無限ループ。衣食住が揃っていれば生存できるのに、それだけでは満足できない人間は強欲というか、不便というか。現代では衣食住+暇潰が無ければ生きられないといっても差し支えないだろう。

 

ではどうすれば有効な暇潰しができるだろうか。残念ながらその確たる方法は「暇と退屈の倫理学」では説明されていないが、暇潰しの方法を「消費」ではなく「味わえ・楽しめ」と指摘されていた。

 

現代は暇潰しをさせる為に膨大な広告や情報が発信されているので、暇潰しの方法は無限にある。ツイッターを見る・新商品のレビューを見る、口コミを見る・芸能人の不倫情報を得る・お金の儲け方を調べる、などなど。ただ、そういった消費活動は無限に続き、キリがなく金銭的にも精神的にも消耗し、暇潰しはできるけど幸福にはならないだろう。

 

「味わえ・楽しめ」とは物事を瞬間的に情報等を処理するのではなく、深く考察したり、主体的なこだわりを持って接することだ。車好きなら車の改造やドライブを行うことで暇を潰す方が「消費」で暇を潰すより幸福になるだろう。

 

夜神月デスノートに名前を書く時機械的に殺していたのでただの消費活動っぽい。心臓麻痺以外でこだわりをもった死に方をさせれば退屈を紛らわすことができたか?知らんけど。)

 

あとは、人生には退屈がついて回ることを理解してその対処方法を試行錯誤して潰し方を訓練していくしかないとのこと。

 

セミリタイア後の不安として資産が底を付かないか・安定した収入を絶って大丈夫か・老後は大丈夫かなど金の不安は真っ先に出る。セミリタイアしたら暇になるという不安は、金の不安の二の次にされがちだが、結構重要なことだと思った。

 

暇潰し対策は一朝一夕で身につけることはできない。サラリーマンという暇潰しを定年までやっていたら、味わえる暇潰し方法を見つけることに苦労することが容易に想像できるので、早くリタイアして自分に最適な暇つぶし方法を模索・訓練したい!と思った